ごあいさつ

縄文の炎はまちづくりの炎


藤沢野焼祭実行委員長
千葉 均

縄文時代、私たちの祖先は、森羅万象全てに宿る神を敬い、自らの魂を見つめてきました。豊かな幸に恵まれ、自然と共に暮らしていました。これらを教えてくれるのが、世界で最も古く、優れた芸術作品といわれる「縄文土器」です。

一関市藤沢町には、「十文字遺跡」をはじめ縄文時代中期の遺跡が点在しています。私たちの祖先は、4,500~5,000年も前からこの地に生きてきたのです。

「藤沢野焼祭」は、縄文時代そのままの手法で土器を焼き、素朴な土の香りと激しい炎の中に、現代人が忘れがちな自然への祈りや精神的な豊かさを取り戻そうとする「土と炎の祭典」です。「土をこねて土器を作り、まきをくべて土器を焼く」。かつて、縄文人たちが繰り返してきた営みは、今なお、この地で受け継がれ、燃え盛る炎が藤沢の今を、未来を照らしています。

第15回岩手・藤沢野焼祭(1990年)に参加した岡本太郎氏(故人)は「ここには縄文人がたくさんいる。ここから縄文人をどんどん増やし、日本中、世界中、あの祭りに参加している皆さんのような生き生きとした顔、動きが宇宙に満ちていく、その原点が藤沢であってほしい」と絶賛し、氏の作品ブロンズ像「縄文人」を寄贈されました。

古代に思いを馳せ、40年以上にわたって燃やし続けてきた「縄文の炎」は、地域、住民、行政が協働で挑んだまちづくりの「炎」です。この炎を100年先、200年先も燃やし続けていけるように、祭りを継承していくことが私たちの使命です。引き続き、皆さまのご支援をお願いいたします。

古代に思いを馳せ、40年以上にわたって燃やし続けてきた「縄文の炎」は、地域、住民、行政が協働で挑んだまちづくりの「炎」です。この炎を100年先、200年先も燃やし続けていけるように、祭りを継承していくことが私たちの使命です。引き続き、皆さまのご支援をお願いいたします。


名実共に日本一の野焼祭

藤沢野焼祭実行委員長 皆川 洋一

藤沢野焼祭前実行委員長
皆川 洋一

1976年に民間考古学者の塩野半十郎先生が提唱したこの祭りも2015年で記念の40回を迎えることができました。この間、参加者、審査員、ゲストの方々はもとより裏方として祭りを陰から支えてくれた町民皆様方の力で長きに渡って続けることができました。

長い間には紆余曲折はありましたが、『おらが町の夏祭り』との一人一人の熱い思いが、このように全国に誇れる祭りへと発展することができました。  1999年には『地域づくり団体佐世保交流大会』での日本一、2004年には『ふるさとイベント大賞』で優秀賞受賞と内外共に認められる一関市はもとより岩手県を代表する夏祭りとして定着いたしました。

最初は場所も旧本郷分校跡地で窯数も6基から始まり、3年目から現在の場所に定着し、特に15回(1990年)の年に事務局体制を当時の藤沢町商工会から町役場に移し、今日の大きな祭りの礎となりました。

特にも岡本太郎先生、池田満寿夫先生、辻清明先生と表彰にその名を残す偉大な先生たちの参加をいただき、言葉では言い尽くせないほどの物心両面に渡り長く野焼祭をはじめとして藤沢のまちづくりに深く関わっていただきました。野焼祭の祖塩野半十郎先生を筆頭に多くの方々のご恩に対し、この火を見ながら感謝いたしたいと思います。

第40回(2015年)の記念事業として、第15回の年に辻清明先生からご寄贈いただいた、古代蓮とも大賀蓮又は『縄文蓮』と言われ、縄文時代の遺跡から発見された蓮の種から増殖したものを深萱の地で大事に育ててきたものを中尊寺さん平泉町さんのご厚意により、金色堂の泰衡の首桶から見つかった蓮の種から増殖した『中尊寺蓮』を株分けしたものを交換いたしました。

また、40周年記念として、記念事業班の検討において、何かあとに残せるものにしたほうがよいのではないかという意見が出され、記念誌の作成と本ホームページを開設することといたしました。

今後は、本ホームページにより、県内外へ情報を発信し続け、より盛大に長きに渡り、開催していきます。